世界陸上を見た方なら「小林香菜」と気になって検索する人は多いと思います。
東京世界陸上7位入賞すごかったですね。
今や日本女子マラソン界の新星として注目される小林香菜選手ですが、もともとは水泳部出身です。
中学2年のときに偶然のきっかけで陸上に出会い、わずか数年で世界陸上7位まで駆け上がりました。
この記事では、小林選手の 出身中学、高校・大学時代、マラソン経歴、実業団入りの裏話、そして世界陸上での快挙 を詳しく紹介します。
読むと「こんな選手だったのか!」と驚くはずです。
小林香菜 陸上 出身中学は?「前橋市立第三中学校」
小林香菜選手の出身中学は 群馬県の前橋市立第三中学校 です。
中学2年のときは水泳部に所属していましたが、駅伝のメンバーが足りず「助っ人」として走ることになりました。
これが人生の大きな転機となり水泳部から陸上部へ転部したきっかけに。
実際に走ってみると予想以上に力を発揮し、そのまま陸上部に転部。
本格的に長距離種目に取り組み始めました。
中学時代の駅伝・ジュニアオリンピックでの活躍
中学3年時には 3000mでジュニアオリンピックに出場、さらに 群馬県代表として全国都道府県駅伝に出走しました。
「助っ人」から始まった陸上が、わずか1年で全国区まで駆け上がるのですから驚きです。
群馬県の前橋市立第三中学校出身の有名人↓
- 吉江豊:プロレスラー、スポーツ選手
- 古澤融:声優、舞台俳優
- 山本龍:政治家、元前橋市長
- 石川浩司:シンガーソングライター
小林香菜 陸上・高校は?「早稲田大学本庄高等学院」|文武両道の進学校
小林香菜選手はその後、埼玉県にある 早稲田大学本庄高等学院 へ進学しました。
ここでも陸上を続けつつ、難関校ならではの学業とも両立しました。
進学校でありながら部活動も継続した姿勢に「文武両道を象徴する存在」といわれています。
早大本庄高等学院の特徴と難易度
ちなみに早大本庄高等学院の偏差値は76(2025年度時点)。
埼玉県内でもトップレベル、全国的にも超難関の進学校です。
陸上だけでなく学業面でも優秀だったことが分かります。
私自身、「ここに通いながら部活も頑張れるって本当にすごいな✨」と思いました。
小林香菜 陸上・大学時代は?「早稲田大学マラソンサークル」出身
大学は 早稲田大学法学部 に進学。意外なのは体育会陸上部ではなく「早稲田ホノルルマラソン完走会」というサークルに所属したことです。
「えっ、サークルで日本代表になったの!?」と驚く方も多いはずです。
大学時代の走力向上エピソード
サークルだからこそ自由度が高く、自分のペースで練習を積み重ねられたのかもしれません。
結果的にその選択が功を奏し、卒業後に一気に才能が開花しました。
小林香菜 マラソン経歴を時系列で振り返り
初マラソンから2時間台突入まで
- 2021年 富士山マラソン初挑戦 → 3時間29分12秒
- 2022年 2回目のマラソン → 2時間39分54秒で優勝
「最初は市民ランナーのタイムからスタートしたんだ」と思うと親近感がありますね。
大阪国際女子マラソンでの飛躍
- 2023年 大阪国際女子マラソン → 2時間36分54秒
この結果をきっかけに、実業団チームからの注目を集めるようになりました。
世界陸上出場と歴代記録の更新
- 2024年 大塚製薬に加入
- 2025年 大阪国際女子マラソン → 2時間21分19秒(日本歴代10位、2位、日本人トップ)
- 2025年9月14日 世界陸上女子マラソン → 7位入賞
初マラソンからわずか4年で世界トップ8入り。これは日本女子マラソン史に残る快挙です。
小林香菜 実業団入りの裏話|大塚製薬への挑戦
10社に断られた過去と自らの営業力
小林選手はサークル出身だったため、実業団からなかなか声がかかりませんでした。
そのため直談判で営業。なんと 10社以上に断られた といいます。
それでも諦めず、自ら履歴書やメールでアピールし続けました。
徳島移住を決意した理由
その結果、大塚製薬陸上部に合格。
拠点は徳島県で、大学時代は東京にいた小林選手にとって大きな決断でした。
しかし「本気でマラソンを極めたい」と移住を決意しました。
2024年4月から実業団ランナーとしてのキャリアをスタートさせました。
この行動力にはただただ脱帽です。
小林香菜 実業団入り後世界陸上7位!日本女子マラソン界の希望
小林選手が大塚製薬の実業団に入ってから語っているのは、正直な気持ちでした。
「練習が辛すぎて、合宿が終わった瞬間が一番うれしかった」ということ。
普通なら「走ることが楽しい」と思われがちですが、実際はそうではなく、毎日が苦しいトレーニングの積み重ね。
特に初めての実業団生活は精神的にも体力的にも厳しい日々だったと思います。
沢山の人の支えで頑張れた
ただ、そんなときに 沢山の人が声をかけてくれたことが支えになった といいます。
「もう頑張るしかない」
そう思えるのは、応援してくれる人の存在があるからこそです。
スポーツ選手ってタイムや順位だけじゃなく、人とのつながりが大きな力になるんだと改めて感じました。
初めての世界の舞台で7位入賞
そして迎えた初めての世界陸上。
結果は 堂々の7位入賞。
「練習を信じて頑張った」その言葉どおり、苦しい合宿や練習を乗り越えたからこその成果だと思いました。
小林選手は「実業団に入ってから楽しいことよりも辛いことのほうが多かった一年だった」と振り返っています。
でも、その“辛さの積み重ね”が世界で戦える走力を生んだのは間違いありません。
小林香菜選手のコメントを読んで感じたのは、 「強い人ほど本当は辛さを知っている」 ということ。
外から見れば華やかな舞台ですが、実際は合宿での苦しい練習や孤独な時間の積み重ねといこと。
それでも「声をかけてくれる人がいたから頑張れた」と話しているところに、人としての温かさを感じました。
私自身、「苦しいときも支えてくれる人がいるなら、最後まで頑張ってみよう」と思います。
小林香菜選手の走りはもちろん、言葉そのものが多くの人の励みになると思います。
今後の期待と展望
この結果を受けて、今後はパリ五輪や次回の世界陸上でもメダル候補になるでしょう。
私自身、これまでマラソンを観る側でしたが、小林選手の走りを知って「応援したい!」と心から思いました。
まとめ
- 出身中学は「前橋市立第三中学校」
- 水泳部から陸上へ転部し、全国レベルに
- 高校は「早稲田大学本庄高等学院」
- 大学はマラソンサークル所属という異色の経歴
- 10社以上に断られながらも自ら営業して大塚製薬へ
- 世界陸上で7位入賞、日本人トップ
小林香菜選手のストーリーは「挑戦すれば道は開ける」というお手本のような人生です。
水泳部から助っ人で走り始めた少女が、今や日本女子マラソン界の希望に。
次の舞台でどんな走りを見せてくれるのか、今後も目が離せません!
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